上州(現在の群馬県)は江戸時代より昭和まで、養蚕・製糸・織物の絹産業で栄えました。江戸時代には、藤岡の中心部(現在の
群馬藤岡駅周辺)では頻繁に絹市が開かれて賑わいをみせました。上州藤岡諏訪神社には、今でも江戸時代の三井越後屋との関係を示す手水鉢や常夜灯が遺されています。また明治10年に旧多野郡新町で官営の新町紡績所が操業を開始、明治20年に三越の所有となり、同年には高山社蚕業学校も本校を藤岡の中心部へと移し、藤岡の町は絹産業関係の取り引きで活気を帯び潤いました。
ここに紹介する食事処「柏屋四郎右衛門」を有する「柏屋旅館」は、300年の昔、絹宿の1つでした。 上州(現在の群馬県)は江戸時代より昭和まで、養蚕・製糸・織物の絹産業で栄えました。江戸時代には、藤岡の中心部(現在の群馬藤岡駅周辺)では頻繁に絹市が開かれて賑わいをみせました。上州藤岡諏訪神社には、今でも江戸時代の三井越後屋との関係を示す手水鉢や常夜灯が遺されています。また明治10年に旧多野
郡新町で官営の新町紡績所が操業を開始、明治20年に三越の所有となり、同年には高山社蚕業学校も本校を藤岡の中心部へと移し、藤岡の町は絹産業関係の取り引きで活気を帯び潤いました。
ここに紹介する食事処「柏屋四郎右衛門」を有する「柏屋旅館」は、300年の昔、絹宿の1つでした。
近年、この老舗宿のオーナーは、敷地内に遺る明治12年と明治25年築の2つの蔵の再生を降旗建築設計事務所に相談し、事務所から独立して群馬で仕事をする建築事務所吉左右が設計監理を担当したそうです。そして2003年~2004年の曳家など難工事の末、食事処として、蘇りました。
2つの蔵を出入口や受付のサービス空間がつないでいます。どちらも1階が椅子席の空間で、静かな環境で鰻料理をいただくことができます。2階は畳敷きの和室と板の間があり、多用途に使用される空間です。
伺った7月は、新型コロナの影響もあり、旅館としての営業はしていませんでしたが、蔵を再生したお食事処「柏屋四郎右衛門」で、お財布にもやさしい半鰻重(鰻半匹)をいただきました。
窓辺の机には、JMRAで出版した『よみがえる蔵』で紹介されたページや、近隣の藤岡瓦職人の五十嵐清さんを紹介するページが広げられていました。眼福、口福のランチタイムでした。(東京都・正会員 S.S)
住所 | 群馬県藤岡市藤岡55 |
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電話 | 0274-22-0006 |
ランチ | 11:00~14:00、17:00~21:00 (夜は予約のみ、日曜夜の部はお休み) |
メニュー | 鰻重・肝吸い付き4000円、半鰻重・肝吸い付き2500円 会食コース(予約要)5000円~等 |